らんちう
泳ぐ金魚図鑑
泳ぐ金魚図鑑
金魚資料館、展示水槽
古書の展示コーナー
創立者・・・・・・・・嶋田正治   昭和60年不慮の事故の為没
沿 革・・・・・・・・・昭和57年7月 金魚水族館・民族資料、金魚の錦絵と古書展示コーナー・売店 落成開館                  
概 要・・・・・・・・・創立者、嶋田正治は昭和30年頃より金魚の生産地見学に訪れて来る小中学校や社会教育団体などに自営の養殖場を無料開放して説明役を務め、30年間で延約10万5千人の見学者を受け入れた。金魚のふる里に金魚に関する資料館もなく、憂いを感じながら資料館の建設は永年の夢であった。NHKの「明るい農村」に出演して語った構想をそのままに、100坪養魚池を埋め立て自費、手作りて゜着工して完成したものである。

高級魚飼育池
蓄魚池
金魚のふる里
有限会社
    やまと錦魚園
沿革    昭和元年 設立
  ・金魚 錦鯉の養殖、卸売、小売
  ・養殖面積  3ha
  ・高級金魚展示池  650u
  ・代表 嶋田輝也
概要
・先代嶋田正治が戦後、事業を拡大し全国の卸売、小売店に金魚を出荷
・昭和30年代初期に国交がなかった中華人民共和国より金魚を輸入し繁殖に努力 し日本式(郡山式)飼育法により大量生産に成功した。今ではそれらの日本産中  国金魚は全国の小売店でよく見かけるようになった。(水胞眼、ハナフサ、青文魚、茶金、丹頂など)
・昭和48年度より、毎年春と秋に全国各地又は海外より優秀な金魚を集め展示即売を開催しています。
・昭和56年より、金魚すくいセットの通信販売を開始し全国の商工会、幼稚園、保育 園などで夏の催物に一役かつています。
郡山の金魚の歴史
 金魚が日本に初めて到来したのは、足利時代(文亀2年・1504年頃)で、その頃
の日本国内は動乱の時代で繁殖さす事ができなかった。徳川幕府が天下統一し
て平和になつた時代(元和2〜5年・1616〜19年間)に再到来したものが繁殖して
現在に伝えられた。
郡山の金魚は柳沢吉保の子吉里が甲斐の国(山梨県)から大和郡山の藩主とし
て国替りしてきた時に持ってきたと伝えられいます 。下級武士の内職として飼育し
ていた金魚の養殖技術が、徳川の末期から明治の初期にかけて付近の農家に伝
えられ副業となり、水利の便の地の利を得て養殖が盛んになり日本の主要 産地と
なった。
太平洋戦争中は金魚の養殖は中断したが、平和共に復帰して、昭和40年代高度成
長共に発展し養殖面積80ヘクタール、養殖業者百数十戸、年間1億2〜3千万尾の
金魚が生産されて全国の50%のシェアをしめ全盛期を迎えた。しかしオイルショック
後不景気や都市化、後継者不足も伴い年々衰退しています。